節子さん  18才の お誕生日 おめでとう

2005.09.07

さて今回は お誕生日 3部作の最後


です。 

貴方も私も大好きな 旅行のお話です。
もちろん貴方といっしょに行った旅も入っていますし、
貴方が生まれる前のも 入っていますよ。


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パパの人生にとって (?まだ終わっていないけど) 最高だった旅の
ベスト10 を厳選しました。 

No.1
ワイキキ と ハナウマベイ


これを一番に持ってくるなんて、一番好きな食べ物を「カレー」 と告白するようなものなのかも・・・。でも いいんだ。パパにとっては、節子さんと初めての二人での海外旅行だったからね。記憶に残る言葉がある。憶えてるかな?ワイキキに着いて貴方はすぐ私にこう聞いたんだ。「パパどのくらいココに居られるの?何日いられるの?」 ってね。その言葉から、貴方がとてもハワイを気に入ったという事がよく伝わった。本当にパパは嬉しかったよ。 それから ハナウマベイでの魚とのスキンシップも忘れられないよね。予定を変更して2回も行ったものネ。 その後のどの海よりも美しい光景だったね。 あと、夜店での買い物も楽しかったね。貴方は最後の夜、私にねだって一人で夜店に行ったんだよ。小学生だった事を考えると、怖い事をよく許したものだと反省します。

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No.2
相賀の浜 (あいがのはま)

節子さんが生まれるはるか昔、パパが小学生4年生の時だった。パパにとっては生涯忘れられない冒険。隣の町の浜辺まで自転車で旅(?)をするというものだった。隣の町と馬鹿にするでない! パパの生まれた町は知ってのとおりリアス式海岸で有名な所だ。隣町まで約8キロの山道。山道の高低さは軽く200m。東京タワーの第2展望台くらいの高さだ。とにかくたった一人で峠を越え、滝のような汗をかきながら、風のように坂道を駆けくだり、とうとう相賀の浜に辿りついた。付近の店で牛乳を買って飲んだのを憶えている。帰りはもっと辛かったはずなのに、不思議とその記憶はないんだ。
翌日学校で 自慢話に花が咲いたのは言うまでもない。
少年は少しだけ大人になり、自信に満ちていた。



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No.3
富士山 山頂

本当に大変だった。すごかった。小学生5年生でよくがんばった。山頂での「ご来光」を君が見れた事はパパの誇りでもある。 それと、パパもあんな「すし詰め」での雑魚寝は初めてだった。あんな状態でも「寝ころがれる」 事に感謝している自分と自分の体にびっくりだった。本当にあの「本八合の山小屋」での経験は得がたいものだ。 それから最後の下り道までハラハラさせて すいませんでした。パパの悪い癖で、ついつい欲張りして足を伸ばしてしまったんだ。結果的に間に合ったからよかったけど、この部分は深く反省してます。

でも、登山ルート選択や、なにより天候を横目で見てのスケジュール決定はパパの腕をほめてほしいナ。


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No.4
ビンタン島

節子さんはあまりこのビンタン島には大きな思い出がないかと思う。海をバックにした写真で後ろに虹があるとか、でっかいサンゴを触ったとか、 「スターフィッシュ 」 って 「ヒトデ」 の事だったのでがっかりした・・とか キッズルームでフランスの男の子と仲良くなったとか、夜ディスコで踊りまくったとか、最後帰るときに 「リン」の顔の染物をお姉さんがバスに届けてくれていたとか・・、とにかく ジミー な記憶しかないと思います。

でもパパには忘れられない 「いい思い出」 がこのビンタン島にあります。この旅行は「クラブメッド」で、必ず夜の余興がありました。ある夜の「指揮者の余興」でパパが一躍有名人になり、翌朝の朝食のバフェで、貴方が私の腕につかまり、寄り添ってホールを歩いてくれた事です。とにかく父親として嬉しく、大変晴れがましく感じた瞬間でした。

あれ以後、私の腕につかまった事って ありましたっけ?








No.5
サイパン

なんといってもサイパンの思いではマリンスポーツですね。節子さんはこのサイパンで、沢山のマリンスポーツを体験したんだ、憶えてますか。ウインドサーフィンに乗れるようになった。ダイビングを体験した。水深10mまで潜った。10mも50mもダイビングとしての技術は変わらない。君はりっぱにダイブした。パパの操るヨットも乗ったね。結構上手だったでしょ。 海亀がマニャガハ島の海を横切るのを見たよね。それを見れたのは、なんと私たち二人だけだったネ!

蛇足だけれどパパはこの旅行で節子さんに 涙を見られてしまった。ホテルの清算の時、レジでトラブルがあり、250ドル余計に請求され、悔し涙を君に見られてしまった。憶えているかい。忘れてくれ。










No.6
尾鷲(おわせ)の山並み

また はるか昔の話でゴメン。 パパが中学3年の春の事です。中学の修学旅行で富士山、箱根、東京、に行きました。パパの地域では当時は定番だったんです。たしか4泊5日だった。最後の日の早朝、近所の中学と合同で貸切られた列車(デーィゼル車)の中で体験した事です。列車は新緑の山間の中を 「日の出」の光を浴びながら尾鷲を目指して走っていました。パパたちは、その新緑のあまりの美しさに圧倒され、一人、また一人と寝ている他の者を起こしてゆきました。そして皆で口々に言い合ったのです。「美しい。尾鷲が一番美しい。都会より、富士山より、この景色が一番美しい」。 作り話ではありません。女の子たちは、みんな手を握り合って言い会ってました。「絶対 ヨソになんかに行かない。尾鷲にいる。尾鷲がいい。」

まあそう言ってた人も、結構ヨソに嫁いでしまってるけど。









No.7
ニセコ スキー場

スキー場には沢山行いきましたね。 新潟の岩原スキー場。同じ北海道の富良野スキー場。でも何といっても最後に行ったニセコが最高だったよね。
それは節子さんがパパと同じくらい滑れるようになった事が原因かもね。羊蹄山のすばらしい眺め。キュッ キュッという雪、ホテルの部屋から見えたキタキツネ、札幌の夜のラーメン、二条市場、どれも楽しかった。でも北海道はどこも空港が遠いのが難点だね。まるで海外にいくみたいに時間がかかるね。

今度、またスキーに節子さんは付き合ってくれますか。




No.8
テキサス州 ダラス市

貴方が生まれる直前、ママと1年間過ごした町、ダラス。今から考えると節子さんがまだ生まれていないという事が、何か不思議なような変な期間でした。貴方に 「ほらダラスで会ったあの人だよ」 って言いそうになるほど 私たち夫婦にとって まだ非常に「最近」の昔なんです。

このダラスで夫婦が助け合う事を知り、その結果 貴方を天から授かった そんな気もします。(なんちゃって)



No.9
初めての海外 アトランタ

パパは28才の時、仕事でアメリカ・ジョージア州に出張したのが初めての海外旅行だったです。アトランタという南部で最大の町です。巨大な森の中に町がある、日本では考えられないような美しい町でした。緑と大都会は矛盾しないんだ。できるんだ。人生観が変わりました。


No.10
新人研修の町 富山市

パパは就職した時、半月ほど富山市という所でで新人研修を受けた。富山市は美しい町で それまで日本海側=裏日本というマイナスイメージしか持ってなかったパパにとって新鮮な場所でした。ここはスイスか?という感じ。(スイス行った事ないけど) だから今でもパパは富山ビイキです。マスの押し寿司、ホタルいか、おわら風の盆、等など・・・。




















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いつまでも 旅 を愛する 父より Eiji Hamano  
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